くたびれないオンナ。

レッスンについて

突然ですが、みなさんは、

くたびれる』という言葉を聞くと

どのようなイメージをするでしょうか。

長年、着倒したセーターの首がちょっと伸びてたり

幼少期から、どこに行くにも持ち歩き大事にしてた

クマのぬいぐるみがへにゃっとしていたり

そういう、古くてみすぼらしい感じでしょうか。

人に使うとすると、苦労続きで加齢も伴って、

フレッシュ感やエネルギーがない感じでしょうか。

いずれにせよ、なんだか色あせたイメージがあります。

くたびれる、という言葉には、諸説ありますが

その語源として『くた=朽つ・腐す(くたす)』

あるそうです。

元気はつらつだったはずのものが、

朽ちたり、腐ったり…

どうしてもネガティブなイメージが伴いますよね。

今日の題名の、くたびれないオンナとは、

私が昔、ビジョン手帳に書いた、

なりたい自分の要素の1つです。

自分の心のケアにも体のメンテナンスにも

気が回らず、とにかく仕事に猛進していた時代。

ふと鏡を見た時に、ギョッとして、

思わず二度見してしまうような、

『くたびれた女』がそこに映っていて…

そんな自分に、ドン引きして、

悲しくなったことがあったからです。

それで、なりたい自分の要素に

くたびれないオンナ、と明記したのです。

とはいえ、もうすぐ39歳。

若くあることに激しく執着して、この先ずっと

みずみずしくフレッシュであろう!

とも思いませんし、

朽ちるとは別枠で、ドライフラワーの類は

私はすごく好きで、そうなりたいとさえ思います。

(特に、かすみ草が好きです)

では、朽ちた(くたびれた)花とドライフラワーと

どんな差があるかというと、

時間を味方に出来たかどうか、と、

そして、

その時間、相応の美しさの有無

という風に思うのです。

お花同様、人間も、水分量も彩りも

徐々に減っていくものではありますし

かといって、それは醜くなるかというと

別の問題のように思います。

くたびれた感じなのは、年齢の問題ではなくて

どれだけ自分を労わり、大切にできているか

だと思うのです。(昔の私は、自分に無関心過ぎました)

たとえば、今日の肌の調子。

そして、この後の食事で食べるもの。

今日のお化粧と着ていく洋服。

お通じの状態、おなかのスッキリ具合。

手の甲や指先の潤いの度合い。

何でも良いので、今のベクトルを自分に向けて

納得のできる選択と行動を重ねて

(そうなると自己対話は前提条件ですね)

そういう風にしていたら、

くたびれた自分を手放すことができました。

今ある自分の命はやり直せませんが、

生き方は何回でも何歳からでもやり直せるから、

くたびれないオンナをこの先も

目指していこうと思います。

そしてその先に、

健やかで美しく、楽しく歳を重ねる

NEOヘルシーエイジングがあるように思うのです。

一緒にくたびれない、楽しいおばあちゃんを目指しましょう♪

今日もお読みいただきまして、ありがとうございました!!

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