NEOヘルシーエイジングは、健やかに美しく、楽しく歳を重ねることを目的としていて、
そのために、食と、心と、環境の3つを整えることを提唱しています。
しかし、この3つは、オトナになってからではなく、年代問わず必要なことだと感じます。
教育現場にいる身として、こと、国語教師として中高生に出来るのは、【心を整える】そして【環境を整える】という観点も含めた話を折々触れることです。
授業の単元の端々で、はたまた雑談の1つで、時事問題で、いろんな切り口で伝えています。
そんな中、昨日は中学1年生の授業で以下のような授業をしました。
①授業で扱った『竹取物語』について、国語便覧等を使って自分が興味を持ったテーマについて調べノートにまとめる。
②グループ学習で、各々のテーマと分かったこと、感じたことを共有して、グループごとに配布された課題プリントを仕上げる。
それぞれに、ねらいがありました。
①は、授業で言われたことだけを写し取り、指定された範囲の問題を解くだけの授業ではなく、自ら考え、学び深めること。
②は、自分の調べたことを伝えあうことで、上手なまとめ方や、テーマの切り口の多様さなどを、お互いに学び合うこと。
授業2コマ分、それぞれが創意工夫(はたまた悪戦苦闘)しながらノートにまとめ、話すのが苦手な子もグループ内発表を頑張る姿が見られ、私が一方的に講義するだけでは得られない感動がありました。
そして授業の最後に、大事にしてほしい3つのことについて伝えました。
①課題発見(解決)能力
…自ら問題意識を持ち考えること
②能動的な学習
…自分で情報を取捨選択しながら追究すること
③合理的対話力
…複数名で1つのことを成し遂げる時に建設的に話すこと
生きていく中で、『模範解答』がある問題ばかりに出会うわけでもないし、問題を一刀両断する『公式』があるわけでもないから、
私は中高生のうちに、様々な局面を切り抜けていくためにも、上記の力を培ってもらいたいと考えています。
でもこれは、私自身、自分にも言い聞かせていることです。
『心を整える』のに目の前のことだけに頭を囚われていては糸口が見当たらないし、受け身でいては何も身につかないまま日は過ぎていくだけで、自己肯定感も下がっていくからです。
そして、合理的対話力とは、中学1年生には
『めんどくさいね、という話だけのAグループと、課題の解決のために話し合いを進めようとするBグループ、どっちに身を置きたい?』
という話をして、不満や愚痴ではなく、建設的な意見を出していくことの大切さを伝えたのですが、
例えば私は、大人として他者との間では『合理的対話』を出来るものの、時折、自分の中で『めんどくさいな、やめておこうかな』という甘え・怠けが出てくる時もあり、、、『これは非合理的だな』と一旦、思考停止することにしています。
そして、ひと呼吸おいて、やるべきことを最短・最速でしっかり片づける合理的なプランを自問自答していきます。自分の中での合理的対話力は、『甘え・怠け心の撃退法』としては有効なように思うのです。
ひと呼吸おいて、頭を整理する癖は、茶道のお点前で身に付きました。心が乱れていると、お点前にそのままそれが出てしまうからです。
(無駄が削ぎ落とされ、洗練された茶道のお点前は、呼吸と姿勢を整えると体が動くようになるから不思議です。)
同様に、実はきちんと分かっている『こうするべき』ということに向けて、スッと動き出すための『合理的対話』を自分の中で繰り返しながら物事を進めていくことが、自分が自分を好きでいられて、自信を失わないことの1つかなと思うのです。
『教育は共育』という言葉があります。
教え育てる、という感覚は持ち続けるべきですが、共に育つ、という意味合いでも、教師として教えながら自分にも言い聞かせる場面が多々あり、生徒から教わることもたくさんあります。
今日は、教師的な視点からブログを書いてみました。
『心を整える』ことの1つとして、何か参考になれば幸いです。
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