『山月記』が突き刺さる。

心を整える

みなさんは、『山月記』を読んだことはありますか?

高校の現代文の教科書に出てくる、中島敦の名作です。

その中で出てくる言葉の1つに、『才能の空費』という言葉があります。

もっと有名どころの『臆病な自尊心・尊大な羞恥心』もありますが、毎年この教材を扱い高校生たちに教える中で、私に突き刺さってくる言葉がこの『才能の空費』です。

そもそも『山月記』ってどんな話?

出張先である夜半、発狂して失踪したと言われていた主人公の李徴という男が、実は虎になっており、1年後、山の中で友人である袁傪(えんさん)と再会して、身の上を語るというお話です。

もともと能力のあった李徴は、自分が有名な詩人を目指すのに『才能があると信じて疑わず努力をしない』面と、『実は自分には才能がなかったらプライドが傷つく、それは怖いから努力しない』面が重なって、人や世間と離れていってしまいます。

李徴よりも才能がなかった人が、切磋琢磨して努力を重ね、立派な詩人として大成する中で、人から獣に成り果てた後に『才能を空費(無駄遣い)してしまった・・・』と気がつくわけです。

虎となってしまった李徴は、どんなに悔いたところで人間には戻れず、日に日に虎として生きる時間も多くなり、いつか完全に虎になってしまう恐怖心に苛まれながら、その悲しみと孤独感と無念を友人の袁傪に語ります。

これの何が私に刺さるのか?

つまらないプライドや、臆病な気持ちが強すぎて、人と交わり切磋琢磨することを恐れて取返しが付かない状態になった李徴。

彼の生き様は、私がこの先、どんな生き方をするべきか、どれくらい自分の力を発揮できるか(そのための努力を重ねていけるか)をまっすぐに問うてきます。

毎年この教材を教えるごとに、今の自分は何をやっているか、という自問自答モードになります。

去年の今頃は、三ツ星たまごソムリエの資格取得のために受験勉強をしていた記憶がありますが、今年はあれぐらいガッツリ勉強していないなと反省もあります。

『山月記』の中で、人は誰でも制御するべき恐ろしい心を持っている、というような記述があるのですが、(その恐ろしい心を猛獣に例え、制御することを『猛獣使い』とある)、

きちんと自身をコントロールしていくこと、わずかばかりの才能でも努力を惜しまず磨いていくこと、そうして初めて『才能の空費』が回避できるかな、と感じたのでした。

悔いのないように、自己研鑽に励みます♪

心を整えるのに、過去から読み継がれている名作に触れるのは、とても有効なように思います。

よければ是非、改めて読まれてみてください。(Youtubeには、朗読の動画などもあります。)

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