世界人口の10人に3人は、安全に管理された飲料水のサービスを利用できず、10人に6人は、安全に管理された衛生施設を利用できないといわれています。
つまり、10人に9人が、不自由なく衛生的な水を使うことができないことになります。
そして、9億人近くの人が今でも屋外排泄を続け、トイレや公衆便所など、基本的な衛生サービスを享受できない人は40億人ほどにものぼるといわれることが課題となっています。
また、毎日1000人近い子どもが、この非衛生的な環境下で下痢症となり命を落としていることから、2030年までにすべての人々の、安全で安価な飲料水の普遍的かつ平等なアクセスの達成が目標とされているのです。
これに対して、私たちが毎日使っている、約300リットルの水のうち、99パーセントは、体、衣服、使った皿を洗ったり、トイレを流したりすることに使われており、衛生的な生活を送るのに、大量の水を使うことが『当たり前』になっているのも現状です。
私たちは衛生的な生活を送るために、汚れを水にのせて遠ざけていることになります。
その水がそのまま自然に出ると、貴重な水を汚すことになるので、生活排水を浄化するためにさらに大量の水が必要とされます。
ここで考えるべきは、地球全体の中で、私たちはどれくらいの水を使えるのか、ということです。
地球全体の水をお風呂の湯船いっぱいと考えると、その97.5%が海水。
そして、残り2.5%のうち、大半が北極や南極の氷河としてあるため、私たちが飲み水や生活のための水として使えるのは、たった0.008%
湯船いっぱいの水に対して、大さじスプーン2杯分しかないのです。
そう考えると、いかに水を無駄にしないか、きれいな状態で循環させるかが大切です。
限りある水資源を世界中の人たち、動植物と、分け合うには、大量に水を使用している『10人のうちの1人』にあたる私たちの問題意識が大きく関わってくるのではないでしょうか。
目標6について考えたこと
過去、インドに行ったときに、トイレは文字通りの『水洗』でした。
個室のなかに設置されている和式便所的な形式のトイレで用を足したあと、横についている蛇口をひねり、手桶に水をためて、お尻にチャチャッと水をかけて洗うスタイルなのです。
トイレットペーパーなんて無くて、これで終了。
現地ではこれが常とされていて、トイレのレバー1つでトイレットペーパーもろとも、ジャーッと水が流れていく『ふつうの』トイレとの違いに驚きました。
ちなみに、ボランティアの滞在先としてお世話になった小学校では、そのトイレの個室で体と髪の毛を洗い、すべて手桶の水で済ませる日が続いて、日本に帰国してシャワーのありがたさを痛感したのです。
一説によると、日本人の水洗トイレ(手桶じゃない方)の3回分の水が、アフリカの人たちの1日の水の使用できる量とのことです。
何時間も野山を歩き遠くからバケツに入れて運んできた水を、多少濁っていても使いまわして、お風呂には毎日入れないといいます。
そう考えると、水資源をいかに持続可能な形で制御し、水の生態系を守るか、考えなければいけないと切実に思うのです。
コメント