紛争被災地域には、小学校就学年齢で学校に通えない子どもがおよそ2850万人いるといわれています。
その紛争は、大人同士がおこなっているわけではなく、少年兵として紛争に巻き込まれる子どももいれば、テロリズムに巻き込まれ命を落とす子どもも少なくありません。
治安の悪さによって虐待や暴力、搾取などに苦しむ人たちが後を絶たず、途上国で生まれてきた子どもの約半数が守勢登録をされずにいるために教育や医療などを享受できないということも大きな問題としてあげられます。
そういった現状に対して、目標16のターゲットとして『2030年までに、すべての人々に出生登録を含む法的な身分証明を提供』(16.9)を掲げており、人権の保護につなげていくことが平和の土台となるといえます。
すべての人を守るための法律や、汚職がない政治、言論の自由などが世界のどの国にも浸透するには課題は山積していますが、これらを構築していくことこそが『持続可能な社会』にとっての実現の糸口として考えられるのです。
目標16について考えたこと
目標16のターゲットの1つ『あらゆる場所において、すべての形態の暴力および暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる』(16.1)があります。
これを見て私は、過去、勤めていた学校の決まりの1つ『暴力の徹底排除』という言葉を思い出しました。
暴力というのは、殴る蹴るだけではなく、言葉の暴力も挙げられます。
それによって命を絶つほどに傷つく可能性があり、『いじめ』という言葉で片づけられるものは実は全て『暴力行為』に該当するものだと思うのです。
明日生きられるか分からない中で銃を手に日々おびえながら戦う生活とは無縁な日本ではあるものの、陰湿ないじめや、ネット社会の誹謗中傷によって人を死に至らしめる事件は後を絶ちません。
その根底にある差別や偏見、狭小な考えを緩めるための教育が必要なのだと感じます。
自分の心的現象を適切に言葉に表現すること、
相手を思いやり適切な言葉がけをすること、
この両方に語彙力の問題がかかってきます。
『うざい』『フツー』『べつに』『ww』など、複雑な心境を極度に簡略化させてしまうことで抱えているモヤモヤを浄化させられずに良からぬ方面に向かってしまうのを、国語教育に携わる者としては、どうにかして防いでいけないかと思うのです。
だからこそ、私は『対話すること』を大切にしています。
国語のプリントの片隅に『今日のひとこと』という欄を設けて教え子の日常のちょっとした思いにコメントを返したり、『対話型料理教室』を軸にしていらっしゃる生徒様の声に耳を傾けたり、出来る限りのことを続けていけたらと思います。
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