グループCに属する幸せについて
まず、グループCに属する幸福は、排除してもいい幸福と定義します。
他のグループに属するものとは違い、みなさん自身がそこまで重んじることがない幸福であり、むしろ味わなくていいかな、排除しても大丈夫だな、と感じるものが多い傾向にあります。
グループAは、感謝とシェア、
グループBは、追求の工夫、
そしてグループCでポイントとなるのは
置き換えと想像です。
はじめに付箋に書きだした時自分なりの日々の行為を思い出して書いた幸福のものもあれば、全く思い至らなかったものもあったかもしれません。
それはきっと無縁な幸せの形なのですね。
たとえば。コーヒーやお酒、タバコなどで幸せを感じる【化学物質の幸福】は無縁であって良いと考える方も多いと思います。
また、自傷行為など含め何か痛みを伴い心をスッキリさせる【痛みの幸福】はその瞬間は幸せを感じたとしても長い目で見た時に、本当にその人を幸せにする行為なのか一度考えなければいけないと思います。
私はというと、実は過去、これら2つの幸せに満たされていたことがあります。人工甘味料たっぷりなスイーツを気持ちが悪くなるくらい食べちゃう。
まさに【 化学物質×痛み 】のダブルハッピーで日々の幸せを取り囲んでいました。
それが不思議なことに、悪いこととも思わない。当時はそれが当たり前だったんです。
でもこれは、もしかしたら『他の幸福を感じるアンテナ』が鈍っていたからなのかもしれません。 でも、ここから抜け出したのは、今思えば『幸福の置き換え』をしたからだと思うのです。
たとえば、失恋して、その後、新たに恋をして少しでも今の自分を変えたい、キレイになりたい、と自分磨きの精を出すようなイメージでしょうか。
私の場合は、化学物質×痛みの幸福から、美味しいゴハンで心もおなかも満たす『官能の幸福』や、自分に自信をつけるために学び続ける『脳の幸福』を味わうことで、満たされる幸福の種類に置き換わっていきました。
結果として、自分にとってあまり良いとは言えない幸福の種類(私の場合は化学物質と痛みの幸福)を手放すことが出来たのです。
とはいえ今も本当にたまにですが、がっつりお酒を飲んで二日酔いするというお恥ずかしいこともあります…たまにはいいかと自分を許します。
みなさんは、ダメだとわかっていてもつい続けてしまう悪しき習慣や疑問に感じながらも無意識に子ている行為はありますか??
今一度、グループAの幸福も含め、『この幸福を感じる行為を、この先も続けていって大丈夫かどうか』と、ご自身に問いかけてみるのも良いかと思います。
そして、『なりたい姿』と照らし合わせて考えてみるのも有効だと思います。
以下の問いかけも自分を客観視するのに、効果的です。
長期的な視野で、自分想いな行為か。
刹那的に満たされるだけの行為ではないか。
そして『置き換え』と同時にグループCの幸福に関しては『想像』も大事かなぁと思います。
世の中にはいろんな方がいて、私の幸福の種類と感度の高さが万人に通じないように、誰かの幸福はもしかしたら自分の幸福の基準の低い方にあって理解できない世界かもしれません。
でもその人からしたらそれはすごく大事で尊重されるべきものだとしたら、そこを軽んじたり批判したりするのもただ傷つけ合うだけかもしれないそう、思うのです。
あ、この人はこういうことを幸せに感じるんだなと想像して、(命に関わる事でない限りは)大目に見て許す、というゆとりができたら自分のストレスも減る気がします。
私は、過去、教師として多くの生徒に関わる中で、約束を平気で破る生徒や人を傷つけることを平然と言う生徒にいちいち怒り、いらついて、理解に苦しんでストレスを感じることがありました。
でも、ある時から『理解を越えたら想像する』ことを自分の中の実践しはじめて、 表層的な行為だけでなく、深層を想像して生徒のことを考えるようシフトしました。 もちろん指導はします。
でも感情的に怒るのではなく、計画的に、適切に叱るようにしたら自分自身が楽になりました。必ずしもこれと同様にとは言えませんが、奇想天外摩訶不思議なことをするこの人の幸福って、何の種類に属するのかな??っていう視点で世の中のニュースを眺めるとやみくもにストレスを被らず、ともすれば、これまでと違った面白さの発見もあるかもしれません。
以上、 幸せ取り扱い講座でした。
自分の幸せを守り、増やしつつ、相手の幸せを尊重し、共生していけますように。
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