死に方は選べないから、生き方を選ぶ

心を整える

今日は、『なりたい自分を叶える 理想の描き方セミナー』を開催しました♪
みなさんは、1日のうちにどれくらい『自分のこと』とりわけ『自己実現』について考えますか?

中学や高校時代には、勉強と部活と習い事、塾、クラスの友人関係。
大学時代は、大学の講義、アルバイト、サークル、ボランティア。
社会人になったら仕事と、生活と、お金のことや家族のこと(人によっては育児や介護)
そう考えると、『自己実現』という項目で、時間を、労力を、思考を、行動を、そこに仕向けることって稀な気もします。
でも、学生時代に解いていた問題集の模範解答のような『正解』があるわけでもないし、
誰かが理想とすることを自分の理想と取り違えていたり、

世間が良しとする女性像(母として、妻として、女として)を演じようとしていたり、

気づくとそれが本当の自分の『正解』とか『理想』だと思っている可能性も否めません。

では、それの何がいけないのかというと、特に何が悪いわけでもないと思います。

一生懸命に期待される役割をこなしながら毎日をやり過ごしながら平穏な日々を過ごしていくことも、1つの生き方だと思います。
ただ、私の土台にはいつも、こんな気持ちがあります。

『死に方は選べないから、生き方を選ぶ』

私が受験生に伝えていたこと

これは、私がまだ正教員として高校説明会に来た受験生の体験授業をしていた時に、毎回伝えていたメッセージです。
義務教育(厳密にはその義務は保護者様ですが)の課程を終えたあとの生徒たちは、そこから先の進学はもう自分の選択になるわけで、高校受験=偏差値と家からの距離で選ぶ、というよりか、高校受験=青春時代を過ごす居場所としてしっくりくる感覚で選ぶ、というものをオススメしていました。

(スタンスとしては、その上で、うちの学校が肌に合うならおいで、違う気がするなら無理しないでねという感じ)
そして、体験授業で(一応国語教師なので)絵本を紹介して、その話から深掘りしていくのです。

登場する葉っぱが散るときに、風に舞う葉もあれば枝にしがみつく葉もある、という一文を引用して語っていたこと

・葉っぱも人も、どんな命の終え方をするか分からないし死に様は選べないもの。
・だから来年どの学校にいたいか、その三年間でどんな自分になりたいか、そのために頑張りたい勉強や入りたい部活は何か。
・義務教育じゃないからこそ、きちんと『自分で考えて選んで決める』という繰り返しを1つ1つ重ねてほしい

ということでした。(それは、毎日が学校と家の往復で過ぎていた自分に対して言っているようにも感じることでもありました。)

私たちは、今日、何を選んで生きていこう?

今日は何を食べて、どんな洋服を着て、どんな音楽を聴いて、どういうスタンスで仕事をして、どんな入浴剤で一日の疲れを癒すか。
誰とLINEして、どんな風に笑い合って、新聞のどの記事を拾い読みして、どれくらいの情報を得るか。


基本的に私たちはすべてのことを自由に選べますし、もし自由に選べないとしたら大きな目で見ると『自由に選べないということを選んでいる』ということになります。
(私が好きな時間に起きられないのは、必ず起こしてくる猫を飼うということを選んだ結果で、その代償に睡眠不足に陥っている。笑)
そうして小さな選択、大きな選択、ひとつひとつが重なって自分を作るし、未来の自分を創ることになるのかなと思います。
その選択肢は、知識や経験や環境によって広がったりするわけで、それゆえ子供たちに『勉強するといいことあるよ』という話をしています。

微差は、大差なり。

今日のセミナーでお話したのは、『種まき理論』というものです。
私が思いつく理論なんて、広い世界を探せば似たようなものも絶対あると思うのですが、私自身がいろいろ生き方に悩んだり自己実現に向けて想い馳せたりして出てきた1つの考え方です。どんな花を咲かせたいか思い描いて種を選ぶように、今手元にある「小さな1粒」がどんな可能性を秘めているのか、そもそもその1粒は自分が思い描く花を咲かせるものなのか、今日はそのあたりをお伝えしました。
たった1粒、たかが、1粒です。でもその1粒がやがて根を張り芽をだして、花を咲かせて実りをもたらすと考えると、されど1粒、ですね。
一粒万倍といわれるように、今日選んだ行動や言動、今ある思考や感情が、どんな未来を創るかと考えながら、自分をコントロールできればと思ったのでした。


種まきから実りまで大切にしたいことは?

植物を育てることと同じく、種まきしたままま放置したり、逆に水を与えすぎて根腐れを起こしたり、生長を阻害する雑草がはびこったり害虫がきたり、そういうところ1つ1つの『手入れ』を地道に重ねていくこと。
その過程を一緒に楽しみながら進めていく仲間がいて、励まし合ったり慰め合ったり喜び合ったりすることができれば、どんなに幸せなことか。そんな妄想をしながら、今日のセミナーを迎えました。
セミナー受講者の方は、そのコミュニティに参加・不参加は自由ですが、1度ご縁のあった生徒様はずっと大事にする、というのが私のモットーなのでどんな距離にいたとしても応援し続けたいと思います♪

恩返しと、恩送り

鶴の恩返しでいうと、助けてもらった男に自分の羽を機織りして反物にして恩返ししたわけですが、それは『自分に何かしてくれた人に』返礼するという行為でした。それとは対照的に、『自分が受けた恩を、誰か何に還元していくこと』を恩送りと言います。
私は自分が納得と満足のゆく生き方を見出して形にするまで、本当に多くの方から応援や教えをいただいてきました。
であれば、その方々への恩返しをするのに加えて、今度は過去の私のように悩める方を応援する側として恩送りしたいなと思うのです。
今日のようなセミナー開催はもちろん、オトナの進路応援としての個別カウンセリングやオンラインtalk、料理のレッスン、こうしたブログなどから少しずつ。そんな思いを込めて、ブログ更新してみてみました♪
今日もお読みいただきまして、ありがとうございました☆

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