おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます

心を整える

今日は、成人の日でした。

本日のタイトルは、祝日法で成人の日の趣旨として示されているものですが、

大人になったことを自覚し自ら生き抜こうとする

つまり『 自立 』することへの祝福の日なのかなと思います。

では、自立とは?

改めて自立の意味を調べると、こんな風に定義されていました。

[名](スル)
 他への従属から離れて独り立ちすること。

 他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「自立式のパネル」

(デジタル大辞泉)

うむ。他への従属から離れて独り立ちは、分かる気がします。

でも、他からの支配や助力を受けずに存在て!???

今、私が来ている服も使っているパソコンも電気も

誰かの助力の「おかげさま」ゆえ、その恩恵を頂いて生きる私。

一人、無人島で暮らすなら話は別ですが

やはり社会生活を送る以上は助力は必要となります。

経済的にも精神的にも、収入も身体も、今現在は

自立していたつもりでしたが、まだまだ半人前かしら。

と、そんな卑屈な考えは脇において、その部分以外の

『従属・支配』という話をちょっと考えてみました。

ちなみに、自立の対義語は依存。

依存せず『共生』できていれば、

すなわち自立、これでOKだと私は思っています。

従属は、誰か何か強いものの言いなり。

支配は、思考や行動の束縛

そんなニュアンスかなと思うのですが、

成人の日からすっかり遠ざかった

いわば『成人のプロ』(?)な私たちも

例えばですが、知らず知らずのうちに、

誰か何かに付き従うようなことがあったり

物の見方や捉え方、欲求や理想を

何か大きなものに左右されていたり

そういうこともあるかもしれません。

でも、そこに自由はない気がします。

思えば、自立も自由も、同義的に感じます。

自己責任は生じるものの、

自分の人生を謳歌できる感覚。

私自身、20歳の頃も、結婚しても、

職に就いても、それこそ食事で腸を整えても

まだ『このままでいいのかな?』と

自分の生き方に悩んだ時代がありました。

自己肯定感が低かったから、仕事する自分にしか

価値を見いだせなくて、仕事に明け暮れた時代も。

でも、自問自答して、その都度、手帳や

日記に自分の気持ちを書き出して状況を整理して、

そうやって生きているうちに、

『自分の人生を生きる自信』が確立されました。

ちょうど昨日、NEOヘルシーエイジング講座の

テキストを執筆していました。

上記のような生き方をしてきた私だからこそ、作ることができるテキスト。

食と、心と、環境を整えるために書き出しワークも充実させています。

例えば、『常識』

例えば『世間体』

例えば『社会規範』

例えば『家のしきたり』

それらに縛られない『本当の私』は、

実のところ、どんな生き方がしたいのか、

本当は、何を手にしたいのか、何を望むのか

腸を整える食事法を知ったものの、まだ、

いまいち自分の生き方に自信が持てない方は、

もう既に頑張っていらっしゃることも

既にいろいろ闘ってきていることも

人知れず努力されてきたことも

あるのではないかなと思います。

でも、それだからこそ、

そんなに頑張ったのに何だかモヤつくなら

それこそ『助力』を得れば良いのだと思うのです。

自力で何かを乗り越えるのが

難しいなら、自分以外の誰か何かに上手に頼って、

元気になったら今度は誰かに肩を貸す。

それでいいんです。それが、いいんです。

新成人になった方は、急にオトナ扱いされましても、と戸惑う方も少なくないでしょう。

でも、大丈夫です。何歳になっても、生き方に迷っても悩んでもよくて、

全てを自力でやりこなそうとしなくても、大丈夫。

新成人から数年、十数年、数十年経った方は、一緒に、

健やかに美しく、楽しく歳を重ねていきましょう。

楽しいおばあちゃん仲間、絶賛募集中です(笑)

NEOヘルシーエイジング講座のテキストはもうちょっと!

完成したら、いろいろまたお伝えさせてください♪

今日もお読み頂きまして、ありがとうございました♪

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