以前も書きましたが、私がひそかに続けている
10年日記、時たま面白いことが書いてあります。
その日その日ごとに見開きページで
見渡せるため、数年前の自分の言葉に
ハッとさせられることもあるのです。
今日は、6年前の日記から。
2016年9月24日(金)
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ。っていうけれど、やってみせても、言って聞かせても、『させる』段階に行かない場合は、どうしたらいいの?褒めたら褒めたで、調子に乗る。で、動かない。自分の指導力の無さが目に沁みる。。。
はい、やさぐれモード炸裂しています(笑)
当時の私は、前日の祝日に部活で出勤、
翌日の土曜日が保護者会、翌週の月曜日が文化祭、
担任・学年主任・高等部主幹・部活顧問・文化祭担当と
一人五役ぐらいこなしていて、若さの勢いで
フル稼働していました。(前後の日記で蘇る記憶たち)
で、当時、どうにも動かない生徒に対して
自分の無力感が『目に沁みている』のだと
ジリジリと思い出されたのです。
6年後の今は、非常勤講師になったのもあり
担任や部活顧問、行事担当はもちろんなくて、
先日の文化祭も完全に『お客様目線』でした。
立場が人を創る、とはよく言ったもので、
行事成功に対する責任感や緊張感、
担任している生徒の進路決定までの焦りなど
スコンッと抜け落ちている今があります。
とはいえ、教師として変わらない軸は絶対にあって、
例えば、ここで書いていた格言がその1つです。
やってみせ 言って聞かせて させてみて
ほめてやらねば 人は動かじ。
山本五十六さんという海軍にいた方の言葉です。
人に何かを教えるなら、まず自分がやって見せること。
提出物を出しなさい
→自分は納期を守れているか
チャイム着席しなさい
→自分は時間を守れているか
もっと勉強しなさい
→自分は勉強しているか
ちゃんと最後まで話を聞きなさい
→自分も最後まで話を聴けているか
『先生』は職業柄、年齢的に立場的に
『先生っぽく威張る』ことは簡単です。
でも、生徒からは即、見抜かれます。
信頼されないですし、抵抗する分には
まだこちらも気づかされますが、
生徒の年齢が上がるほど、
静かに失望して、無言で離れていきます。
だから、年度初めの授業ノートの最初の1ページに
私はこの言葉を書いて、生徒に恥じない教師であろうと
自分を戒めるようにしています。
(あ、IBPとしても、生徒様がお菓子を遠ざけているのに
講師である私がバリバリお菓子を食べるのは、
無論、出来ません。というかする気が起きません。)
ちなみに、この続きがあるの、ご存じですか?
話し合い 耳を傾け 承認し
任せてやらねば 人は育たず。
やっている 姿を感謝で 見守って
信頼せねば 人は実らず。
自分の指導力の無力感に苛まれていた
6年前の今日、私は夜遅くまで残業して
帰ってお酒飲んで寝落ちしていました。
インナービューティーダイエットなんて
知らなかった当時は、ストレス発散=呑むか食べるか
そういう選択肢しか無かったからです。
でも、今の自分なら、
一生懸命だった当時の私の『残念な点』が
ちょっと分かる気がします。
それは『自分ばかり』頑張って、
ひとりよがりな悲劇のヒロインになって
『報われない想い』に勝手にじれったくなって
生徒を『承認して任せる』ことや
『見守って信頼する』ことが
足りていなかったのかなと思うのです。
ちなみにこれは自己成長の観点でも
当てはまることかなと思います。
自分という人間に対して、自分の内なる声に
耳をちゃんと傾けて認めてあげること。
自分が頑張れていることに感謝しながら
変化の過程を気長に見守り、自分はきっと
出来ると信じること。
こうやって気付けたということは、
6年前に比べて少しは成長しただろうか。(笑)
でも、今もたまに、目に沁みるほどの
自分の無力感を感じることはあります。
日々、精進あるのみ、ですね。(笑)
WHOが出している『ヘルシーエイジング』でも
『生涯発達』という概念があったかな。
準じて、NEOヘルシーエイジングでも
『生涯精進』という気持ちを大切にしたいです♡
今日もお読みいただきまして
ありがとうございました。
コメント